Profile

名前:増尾 恵美(ますお えみ)

生息地:東京の西エリア

仕事:ライター、音楽で色々

趣味:音楽(ピアノ、ビオラ、歌)

溺愛しているもの:ウズベキスタン

足のサイズ:25.5cm EEEE

座右の銘:焦らない、比べない、力まない

生い立ち

~あかんぼ~

母の里帰り出産で山梨県で産まれるも、すぐに東京都羽村市の自宅へ。

それから四半世紀羽村市民として暮らす事に。

両親の愛情をたっぷり受けて育った赤ん坊期。

おしゃぶりの代わりになぜかセロリをしゃぶっていたらしい。


~幼稚園児~

自宅近くの私立幼稚園に年少から3年間通う。

大好きだったお遊戯会では「おたまじゃくしの101ちゃん」でカエルのママを熱演。

工作も大好きで、クラスの皆で作った巨大トリケラトプスの腹部を黄緑色に塗っていたら、気付くと自分も黄緑色に染まっていた。

タイヤ飛びを片手でできる事を自慢していたら、ある日バランスを崩して顔面から落下し、顔中血だらけになるというお茶目な面も見せていたらしい。

この頃からピアノを習い始める。


~小学生~

酸いも甘いも経験したような気がする。色んな意味で。

ちょうど習い事全盛期で、ほぼ毎日何かしらの習い事に足しげく通っていた。

ピアノ、リトミック、絵画、英語、多言語(これはサークル)、バレェ、ガールスカウト…全部その後の人生につながっている。両親には感謝のひと言である。

学校でも、最高の音楽の先生に恵まれ、高学年は音楽三昧の日々を過ごす。

実はトロンボーン吹いてた5,6年生。色々やっていたけれど、基本的にはへらへらしていた記憶しかない。


~中学生~

地元の公立中学校に進学。

小学5年生まで続けていたモダンバレェを辞めた途端1年間に10kgも肥え、さらに成長期特有の忌々しきニキビが顔中を占領し「太っちょニキビさん」という、なんとも哀れなティーンエイジャーであった。

そのためお洒落などに興味が無くなり、代わりに音楽に没頭するように。

部活動でビオラとの運命の出会いを果たす。合唱部と弦楽合奏部を兼部し、毎日音楽に明け暮れた。

この頃、ハリー・ポッターの3作目までの呪文を全て暗記し、無駄に魔法生物と薬草学の知識を増やす。


~高校生~

相変わらず「太っちょニキビさん」のまま、某都立高校へ進学。

そこでも室内楽部に入部し、ビオラに明け暮れる毎日を過ごす事に。

部活動の仲間たちとの出会いは一生の財産になり、非常に楽しい日々を送った。

反対にクラスにはあまり馴染まず、男子と話すのに過度に怯えていた残念なティーンエイジャーであった。

音大へ進学するからと、へらへら部活ばかりしてちっとも勉強せず、ほぼ全ての科目で常に平均点と赤点の間を低空飛行していたが、3年生の春、突如進路変更し、国立大学(の音楽科)を受験する事に。それからは自分でも信じられないくらいガチで勉強漬けの日々を送った。


~大学生~

猛勉強の末、某国立大学の教育学部初等教育教員養成課程音楽選修に入学。

入学式に2年生が一風変わった新入生を装い紛れるという妙なドッキリ伝統行事のある素朴な大学で、オーケストラに入団し、ここでもビオラに明け暮れる日々を過ごす事に。

ビオラを弾くだけでなく、歌舞伎役者の物真似をしたり、幽霊の女子の声真似をICレコーダーに吹き込んだり、夜な夜なクッキーを焼いたり、ミステリーツアーのコーディネートをしたり、とにかく色々な体験が待ち受けているとは、入団した当初の私には想像もつかなかった。

何かと出費の多いサークルで、在学中ずっと続けたレギュラーの家庭教師アルバイト以外にも、ファストフード店やアパレルショップで短期バイトをしながら必要資金を稼いだ。

怪しげなブログライターのバイトにも手を出したが、別段怪しいものではなく、月に3,000円ほど稼がせていただき、良いお小遣いとなった。

気の良い仲間たちと過ごした4年間はプライスレス。時間もお金も体力も全てつぎ込み、代わりに溢れんばかりの想い出を頂戴した。

サークルばかりやっていたのは事実だが、一応ピアノもまじめに練習し、音楽教育について学び、声楽を専攻してオペラアリアを歌い、教員免許を取得して無事卒業した。

気付いたらニキビは消え、気晴らしにジョギングしていたら7kg痩せていた。


~社会人~

■音楽教室講師時代■

某大手音楽教室の講師として1年間勤務。

なかなか楽しい職場ではあったものの、駆け出しのぺーぺーにはしんどい芸人のような世界だった。

歩合制で給与が決まる。がんばればがんばっただけ報酬が入る。

しかし新米はほとんどコマを持たせてもらえず、無報酬の研修ばかり。時給換算すれば割りは良かったけれど、産休の先生の代打と併せて週に8時間しか働いていなかった。

自分のクラスはたった2つ。

午前中は食品スーパーで寿司職人、午後は本職、夜は家庭教師の先生というオソロシイ副業三昧の毎日から脱却すべく新しい道を歩むことに。


■青年海外協力隊時代■

そもそも音楽教室で働く事にしたのは、修行の場として最適だったからで、何のための修行かといえば、それは青年海外協力隊に参加するためのものだったのだ。

実は学生の時からの夢で、音楽隊員になるという目標を掲げ、実務経験を積むべく音楽教室講師になった。

本当は数年働くつもりだったが、勢いで受験した専攻に運良く一発で合格し、ウズベキスタンはブハラの公立小中一貫校で音楽の先生をやる事に。

2年間現地で活動していたが、3ヶ月の夏休みを2回挟んだため、合計で半年間は暇を持て余すこととなる。

その間は「観光地」ブハラを旅行客の皆々様にアピールすべく、エセ観光隊員としてガイドなどに精を出した。愉快な仲間たちと過ごした2年間、夢のような時間だった。


■帰国後■

帰国して進路を模索していたが、なかなか上手い事いかずに、半年間はプー太郎を満喫していた。

その間、ウズベキスタンの事をまとめたり、それ以外にも色んな文章を書いたり、鴨肉やチョコレートを売ったり、ピアノやビオラを教えたり、色んな事をしながら小遣いを稼ぎ、国内外の旅行へ行き、自由気ままに過ごす日々。

居心地が良すぎて廃人まっしぐらだったが、縁あってWeb制作会社に拾っていただいた。

そこで、営業事務兼何でも屋の仕事をしていたが、ある日突然マーケティング部に異動となり、少しだけウェブマーケティングの世界を垣間見る事に。それがまさかその後の自分の仕事に役立つとも知らず、ウェブ広告やSEO対策にショート寸前の思考回路でがんばった。


■結婚■

2018年2月末に入籍。

現代版お見合い結婚だったので、出会って半年、付き合って4ヵ月という、芸能人もビックリなスピード婚。

寿退社というわけではなかったが、丁度フリー独立を考えていたタイミングだったので、退職して、主婦業に奮闘しながらフリーで働く事に。

ココナラでライティングと音楽の仕事を受けながら、ウズベク語の通訳、そして音楽教室の講師として色々な仕事をしていたが…


■長男出産■

2019年9月に長男坊を出産。

分娩中に2回も脚を"つる"という快挙を成し遂げる。こむら返りの痛みは分娩の痛みに勝った…!

出産を機に、通訳と音楽教室の講師は一旦無期限休止として、ココナラのみで在宅ワーカーに。


■次男出産■

2021年7月に次男坊を出産。

胎盤が剥がれ落ちず、手を突っ込まれて無理やり引っぺがされる地獄体験により息子の誕生時の体重を忘れる。

子どもが2人になったことをきっかけに、保育園のお世話になることに決め、在宅ワーカーに復帰。ついでに通訳も少しだけ復帰。